「差別化」という言葉は今から凡そ10年くらい前からのことでしょうか、業界のセミナーでしきりと耳にした言葉なのです。 例えば東北電力のオール電化のセミナーで講師の人が私たち工務店に対してオール電化を推進することでそうでない人と差別化をはかり勝ち組になる様に頑張ってほしいという、イメージの使われ方だったのです。 その後時間が経過しオール電化も自然普及をすることで差別化の言葉もあまりそこでは意味がなくなりました。 そうです結局のところ、それを使うかどうかはユーザーの皆さんが、使いたいか、使いたくないかの処で落ち着くのです。 でもその頃しきりに「勝ち組「負け組」「差別化」という言葉が大手建材メーカー(パナソニックやニチエ―)などのセミナーに参加する度に出て来たのでした。 印象が強かったのは、国土交通省の品確法の民間主催の解説セミナーや、長期優良住宅の解説セミナーでした。 これらの普及に携わらない工務店は消滅するべきであるかのごとくの、大変なプレッシャーを感じさせるものだったのです。 つまり差別化により「勝ち組」「負け組」「淘汰」により今の2/3の数の工務店が「消滅」してしまうはずだ、又それが今現在の社会にとって必要な工務店の数なんだ、というようなことだったのが今から3年ほど前までの話です。 今は長期優良住宅の政策も一段階が過ぎ、第二のステップ事業になると思うのですが、建築の「地域型住宅ブランド化事業」が始まり出した処です。 大震災を契機に差別化という言葉も耳にする機会もすっかり少なく成って、むしろ人々が絆で結ばれる事の大切さを確認した処だったと思います。 処が先日このブランド化の事業の説明会で講師の話の中で再度差別化の言葉が出て来てその強さに驚いている処です。 国の「地域型住宅ブランド化事業」を進める事によりそれを推進出来ない様な企業は元請けでなく、下請けの立場として存在する様な事になるでしょうとの感じなのです。 私は国交省の目的がその様なものでにあるとは信じていませんが。 つまりそれを推進する動機ずけや、モチベーションとして自分は勝ち組に成りたいと思う事も無理からない事だと思いますが、すくなくても私たちの世代は「差別化」という言葉には快い響きではうけとれない世代として育って来たのです。 絆の大切さに気が付いた今です、むやみに「差別化」の言葉が氾濫しない社会になってほしいと私は思っています。 又国交省の「地域型ブランド化の事業」の提唱を、私たち建築業者の立場としてはしっかりと受けとめ、取り組むべきことだと思いますが、最終的にはユーザーがどの様な建物を望むのかにより、普及するのかどうかではないでしょうか? もし本当にセミナーの講師が解説する様に、国が政策により「存在しても良い企業」、「存在価値の無い企業」として2分化をはかり活動に参加出来ない企業にレッテルを張ることや、又元請けでの活動が制限されるなんて事があってはいけないと思います、でもそれが今大手建材メーカー主催の説明会の講師(解説者)の話なのです。 こんなことで国が業界を整理制御する事が本当ならばそれは憂慮するべき事だと思います。 皆さんはいかがお思いでしょうか? 因みに、朝日新聞(2012年2月28日)「勝ち組」はジコチュー? 米研究者ら実験で確認.というのがありました。 少し前までは(かなりまえかな?)結構企業や工場の食堂などに「共存共栄」の文字看板をよく目にしたものですが、そういえば今は此の文字全く見ませんね。
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