*--後藤直の趣味のブログ--*


2011年01月の日記

昨年の1月31日の新潟東堀の鍋茶屋当たりです。

昨年の1月31日の新潟東堀の鍋茶屋当たりです。
雪一つ無く、道路はほこりが舞うくらいに乾いていました、
処が昨年2月4日より大雪になったんだな―と思い出しています。
2011年01月31日(月)   No.412 (独り言)

丹波焼の壺です。

丹波焼の壺です。
私が購入した業者さんが言う事には「古い丹波の壺で自分もなかなかのお気に入りなんだ」との事でした。
私は何べん見ても、本当に古い物なのか新しい物なのか、今だに区別が出来ません。
第一印象で買う気はありません、ひやかし半分で見ていると、何処となく壺になにがしかの魅力を感じて来るのです。
「だめだめ引っ掛ってはだめ」と自分に言い聞かせているもう一人の自分。
結局買う気でもないのに、ズルズルと眺めていたもう一人の自分が決手の無いままに購入してしまっているのを、傍観していた自分が「バカだな―、こんな壺買っちゃって。」
つまり、こういうのを二重人格というのでしょうか?
自分が心配に成って来ちゃった。
阿賀野市(旧水原町)のおやじの欅という処で冬の間、時々骨董市が開催されますがそこでの事です、業者さんは長岡市の栖吉の近くから来た顔見知りの人です。
2011年01月30日(日)   No.410 (がらくた談議)

紅梅図 作者 豊田天嶺
 


紅梅図 作者 豊田天嶺  茨城・高萩市 松本風湖の門下 

朝もやに煙ったよな紅梅図です。

新発田市の貴船美術店にて求む。
2011年01月29日(土)   No.411 (私設絵画館)

レリーフ彫刻の看板屋の看板なんです。
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レリーフ彫刻の看板屋の看板なんです、看板に応高需、彫刻師邨嘉平とあります。昨年の6月天寿園の骨董市で手に入れました、邨嘉平なんていう人はまったく知りません、下記に嘉平の解説をいれましたが、私は中国製の手彫りの看板とみて安価に手に入れました、中国人でも上手ならいいと思ったのです、
それなりの迫力もあるのです。
そして家に帰ってホームページにて作者を調べたらなおさらガッカリでした、邨嘉平なる人は下記にあるように新しくて明治時代の名人です、看板の裏側を見ると電動プレーナーかけで、材質はゴムの木?(現在は家具なんかに使う堅い木です)に似ている、しかも塗装はウレタンクリヤー仕上げです、間違っても明治時代の品物では無いのに、邨嘉平なんてデタラメなサインを刻んであります。
ジョークならいいのですが、でもこれくらいの彫りが出来るなら、堂々と名のって自分が彫ったと言って欲しいと思いました。
誰かさんに話したら、
「今はコンピユーターでセットして表札や、墓とか欄間を造る時代なので手で彫った作品なら儲けものだよ、コンピユーターの可能性の方が強いんではないか」とのこと
「アッチャー、ヤラレター」
でも未練がましくこれはコンピユーターの彫りでは無い、手彫りの感覚だと自分を慰めています。

因みに朝日日本歴史人物事典の解説です.
木村嘉平(邨嘉平)
明6(1786)年初代(1823没)が開業して以来明治まで5代にわたり,木版彫刻の第一人者としての名声を得た江戸の字彫り板木師。嘉平は代々の称。多く「邨嘉平」の刻名を用いた。3代房義(1823〜1886.3.25)は文字の生動をもよく再現する筆意彫りで知られ,薩摩,加賀両藩版や,薩摩藩の木活字,鉛活字の制作も行った。刻本には,2代(〜1840)の市河米庵『墨場必携』(1836),『江戸名所図会』松平冠山序や,3代の『小山林堂書画文房図録』(1848)など多数。特に米庵の書は,そのほとんどに刀をふるったという。<参考文献>木村嘉次『字彫り版木師木村嘉平とその刻本』
2011年01月28日(金)   No.399 (がらくた談議)

雪晴れの果樹園(新潟テルサ水彩画教室にて)

雪晴れの果樹園
新潟テルサの水彩画教室にて昨年の今頃描いたものです。
2011年01月25日(火)   No.398 (スケッチ)

鉄のモニュメント(Mスタジオ)

昨日に続き鉄のモニュメント(Mスタジオ)です。
2011年01月24日(月)   No.424 (散策)

鉄のモニュメント(Mスタジオ)
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大雪と仕事や何かとバタバタで気が付いたら一週間がたってしまいました。
今日は、江南区のギャラーリー、Mスタジオで見かけたなんとも不思議な鉄のモニュメントです。その不思議がなんとも言えません。
たしか1月30 日に公開との事ですが屋外に展示されている物を少し早めにウォッチしました。
2011年01月23日(日)   No.397 (散策)

みかん (石山の新潟市園芸センターにて)

みかん (石山の新潟市園芸センターにて)
随分昔のスケッチです。
2011年01月22日(土)   No.423 (スケッチ)

デンドロニューム  

随分昔のスケッチです冬の花デンドロニューム(頂き物の花をスケッチしました)
2011年01月21日(金)   No.422 (スケッチ)

熊鷹の図     作者弓家恒畝(ゆげ・こうほ)
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弓家恒畝(ゆげ・こうほ)明治34年茨城県に生れる。荒木十畝に師事。昭和6年第12回帝展「七面鳥」、昭和9年第15回帝展「晴れゆく朝霧」など出品し2回入選。文展1回入。花鳥画を得意とした。
2011年01月20日(木)   No.421 (私設絵画館)

白椿の花  創画会 (伊東正男)

白椿の花  

画家  伊藤 正男(いとう まさお)

性別:男
生年:1936年(昭和11年丙子)
年齢:74歳
時代:昭和〜平成
地域:日本
生地:愛知県豊橋市
分野:画家 日本画 創画会
得意:風景

2011年01月19日(水)   No.419 (私設絵画館)

史記?貨殖傳 (秋月種樹書)
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秋月 種樹(あきづき たねたつ、天保4年10月17日(1833年11月28日) - 明治37年(1904年)10月17日)は、幕末・明治期の日本の政治家。日向国高鍋藩の世嗣。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。詩文に優れ、書家としても知られた。号は古香

私は書は読めません、したがって、フィーリングみたいな感じで自分なりに見つめるだけです(読めないのが残念です)書を求めたものはこれが始めてです、秋月種樹の書が性に合っているみたいです。

因みに書の中の桓公は下記のことだそうです。(ホームページにて)
桓公 (斉) - Wikipediaサイト内リンク:
即位まで - 管仲の活躍 - 管仲の死後 - 歴史的評価
桓公(かんこう)は春秋時代・斉の第16代君主。春秋五覇の筆頭に数えられる。鮑叔牙の 活躍により公子糾との公位継承争いに勝利し、管仲を宰相にして斉を強大な国とした。 実力を失いつつあった東周に代わって会盟を執り行った。 ...

2011年01月18日(火)   No.420 (私設絵画館)

春の花 作者日本美術院(蓮尾辰雄)
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春の花 作者日本美術院(蓮尾辰雄)
今日は新春で待ちどうしい春の季節をお届け致します。

蓮尾辰雄 はすお たつお(1905〜1989)
 日本画家。福岡県出身。東京美術学校卒業。前田青邨に師事する。院展特待。人物画を得意とする。市川市美術展覧会、通称「市展」の草創期に日本画において立石春美、富取風堂、東山魁夷などと名を連ねる。
2011年01月17日(月)   No.418 (私設絵画館)

我が家の庭にやってくるヒヨドリです。
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我が家の庭にやってくるヒヨドリです。
先日たしか1月9日の日曜日のNHK(日本の自然)を見ていました、ヒヨドリが北海道から宗谷海峡を越えて、本州の竜飛岬へたどり着くまでの渡り鳥の苦難の道を放送していました、途中、隼やカモメにやられ、仲間が犠牲になりヤットの思いで竜飛岬にたどり着きました。
それから本州を南下して、長野県にまで渡ってくるとの事でした、大変ドラマチックなものでした。
今我が家にいるヒヨドリは、朝から縄張り争いで飛び回っています、キット苦労を共に、同じようなドラマを経て此処にやって来たんだろうと思いますが、
それを過ぎれば今度は、お互い生きる為に、縄張り争いをして、仲間が邪魔になるという事なんだなーと、此のヒヨドリもそれなりのドラマがあるのだろうと、・・・・感概深いものがあります。
2011年01月16日(日)   No.396 (独り言)

ブーメラン(法輪)を追っかける青不動。  作者(鶴山人梵可)
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ブーメラン(法輪)を追っかける青不動。
信貴山縁起絵巻の童子は鎧に剣をぶら下げて法輪をおっかけて走ります。
此絵の青不動はブーメラン(法輪)といっしょに空を走ります。
絵を見た時にピンと来たのです、きっと此の絵の作者鶴山人梵可は信貴山縁起絵巻にヒントを得て此の様な絵を描いたのではないかなって、又青不動様の顔もなかなかいいんです。
鶴山人てどんな作家だろうと興味をおぼえてしまいました、それから鶴山人探しが始まってしまうのです。
その話は又後ほどにします。
2011年01月15日(土)   No.415 (私設絵画館)

土物の焼き物です。

土物の焼き物です。
大きな瓢箪形の花瓶は丹波と言われています、底に印がありました、最初は分かりませんでした、本当は古い物と言われて購入したんですが、作家物で新し物でしょうか?もう一つ中程度の壺も丹波との事、あとの小さな角びんは備前との事です。
私は土物の焼き物は何が良さの決めてかまだ分かりません、又古い物なのか新し物なのかも見分けが付きませんいわゆる「未熟者です」でも好きなのです、
時々この様に土物だけを眺めて楽しみます。
2011年01月14日(金)   No.414 (がらくた談議)

椿の花

椿の花
22年12月22日に掲載しました椿の花に更に手を加えた積りですがはたして良かったのかどうかと、大の大人が小さな画面に悪戦苦闘です。
2011年01月13日(木)   No.395 (スケッチ)

毎年1月11日は亀田建築組合の総会の日でした。
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毎年1月11日は亀田建築組合の総会の日です、昔から大工は聖徳太子をあがめ祀っております。
それは聖徳太子が建築の技術(規矩術等や道具)を隋か唐からか取り入れた事からと聞いております。
まず始めに聖徳太子の掛け軸を祀り恒例の神事を行ってから、会議、そして宴会でした。
写真は神事の状況と宴会での来賓様からご挨拶を頂いている処です。

ウイキペチデアフリー百科事典解説より
規矩術(きくじゅつ、規矩法とも)は、木造大工の加工技術の一つで木造建物の仕口・継手その他接合部分を曲尺(かねじゃく、指矩(さしがね)とも)によって作り出す手法。

歴史的には相当古いと考えられるが、当初は経験・言い伝えによるものがほとんどであった。江戸時代に入るとさまざまな学術と共に発展し、江戸幕府の大棟梁平内延臣によって大成した。単に部材加工の技術としてだけではなく、部材寸法の組み合わせや比率、間取りや高さの決定の基準にまで、その理論は展開されている。

縦(垂直)・横(水平)・斜めに複雑に組み合う木造建築の接合部分を、曲尺一本で巧みに作り上げていく技術は相当に洗練されたものであり、その習得にはかなりの修行と経験を要する。そのため、伝統建築としての木造軸組工法(在来工法)においては、十分に規矩術を身に付けていない大工が非常に増えており、日本の建築において伝統の継承が難しい局面もある。

2011年01月12日(水)   No.394 (独り言)

月と梅の図(味方海山)海山指頭作

月と梅の図(味方海山)海山指頭作
(ホームページより)
味方海山(1863〜1942)。現在の新潟市中央区寄居町に生まれ。幼少から指先で絵や字を描き、画家としての才能を見抜いた父親が京都の南画家田能村直入に弟子入りさせた。
そこで海山は文人画を学んだが指頭画を貫いた。その珍しい描き方と、繊細な仕上がりに、人気を博し、特に梅と達磨の絵を得意とし、驚くほどの速さで仕上げたという。
また皇室や軍の上層部の人たちの前でもその描きぶりを披露していたことが当時の新聞に記されているという。
 長い間旅画家として全国を渡り歩いたが、晩年は新潟松浜に戻り79歳で亡くなった。

2011年01月11日(火)   No.393 (私設絵画館)

紅梅青磁壺(吉村忠夫)

紅梅青磁壺(吉村忠夫)

吉村忠夫 よしむら-ただお

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.
1898−1952大正-昭和時代の日本画家。
明治31年10月5日生まれ。松岡映丘に大和絵をまなぶ。文展,帝展,日展で活躍。正倉院御物研究家としても知られた。昭和13年映丘の没後,国画院を指導,また日本画院を創立して同人となる。昭和27年2月17日死去。53歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「灯籠大臣」など。

MATHU様より情報提供
福岡県出身。東京美術学校卒。松岡映丘(10-1-13-19)に師事。大和絵の伝統を良く継承し、古風典雅な画境を示した。代表作は、聖徳太子の妃、橘大郎女を描いた「多至波奈大郎女御影(たちばなのおおいらつめのみえい)」で、これは1926(T15)第7回帝展で特選となった。背景には橘大郎女が奉納した「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」がかかっており、荘厳な雰囲気の作品となっている。他にも多くの作品や門下生を輩出した。帝展審査員。典雅な大和絵の世界、近代大和絵に新境地を開いた。享年53才
2011年01月10日(月)   No.392 (私設絵画館)

紅梅小禽図(秋葉長生)

紅梅小禽図(秋葉長生)
鳥はジョウビタキでしょうか?
秋葉長生
大正〜昭和の日本画家山口蓬春の門下で官展で活躍した。
日展会員、審、菊花賞、買上、川端画学校卒、花鳥
明治44年(1911)〜昭和31年(1978)享年68歳千葉県出身
2011年01月09日(日)   No.391 (私設絵画館)

新春にふさわしく(紅梅)安西啓明
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本当の春はまだだまだです、でも新春にふさわしくせめてリビングの壁は梅の花の絵を掛けて春の気分にしました、今日は安西啓明の紅梅をご紹介致します。
安西啓明
作家, 安西啓明. 略歴, あんざい・けいめい 明治38年、東京生れ 名は正男 川端龍子に 師事 再興院展に入選するが、龍子が青龍社を結成するに及びこれに参加、社人となる 龍子の画塾御形塾の塾頭をつとめ、自らは青明会を主宰 全国の建築や東京をテーマに ...

2011年01月08日(土)   No.390 (私設絵画館)

初詣(弥彦神社)
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今日は朝から吹雪で大変だなーと思いましたが、実は地元の新栄信用組合の友の会の伊弥彦神社への初詣の日だったのです。
私も皆さんといっしょにお参りに出かけました、山を背景に雪の社殿は大変清々しく見えました、又神事で祈願の始めのドンドンの太鼓の音に私の頭の中も一ぺんにしゃんとし、清々しく浄化された思いです。
2011年01月07日(金)   No.389 (散策)

松竹梅図(尾竹三兄弟)
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松竹梅図(尾竹三兄弟)
昨日は尾竹竹坡についてご紹介いたしましたが。
本日は尾竹三兄弟の寄せ書きによる松竹梅をご紹介いたします。

尾竹 越堂(おたけ えつどう、慶応4年1月28日(1868年2月21日) - 昭和6年(1931年)12月3日)は、明治から昭和期の日本画家。経歴 慶応4年1月28日(1868年2月21日)、越後国白根町(現在の新潟県新潟市)に生まれる。本名熊太郎。幼少のとき東京に出て歌川国政に浮...

尾竹竹坡(おたけちくは)
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 尾竹竹坡の用語解説 - 1878−1936明治-昭和時代前期 の日本画家。 明治11年1月11日生まれ。尾竹越堂の弟,尾竹国観の兄。4歳で笹田雲石に, のち川端玉章,小堀鞆音(ともと)にまなぶ。文展では,明治42年の第3回展で「茸狩」, ...

尾竹 国観(おたけ こっかん、明治13年(1880年)4月21日 - 昭和20年(1945年)5月20日)は、明治から昭和期の日本画家。経歴 明治13年(1880年)4月21日、現在の新潟市に生まれる。本名亀吉。幼くして笹田雲石に国坡の号を受ける。東京学齢館の『小国民』の全国児...

又昨日の続文で尾竹三兄弟の事を下段にご紹介します。
2007年2月25日号の美術誌『Bien(美庵)』Vol.43(藝術出版社)の巻頭特集「きみは、尾竹三兄弟を知っているか?』にて、尾竹三兄弟の次兄として紹介されるや、国際浮世絵学会の機関誌、三兄弟の地元の『新潟日報』や『北日本新聞』でも『Bien(美庵)』の特集を評価、全国に潜在していたファン、コレクター、研究家、美術館、骨董商から熱いエールと全国規模の回顧展を望む声が上がり、盛り上がりを見せている。

2011年01月06日(木)   No.388 (私設絵画館)

我が家の玄関ホールです(松竹梅)
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新春の飾りです。(松竹梅)

尾竹竹坡 (ウイキぺディア フリー百科事典より)
明治11年(1878年)1月12日、現在の新潟市に生まれる。本名染吉。幼時南宗派の笹田雲石に学び、竹坡の雅号を受ける。明治24年(1891年)富山に移り、兄国一(越堂)とともに生活のために売薬版画の下絵や新聞挿画を描く。弟国観が『小国民』の全国児童画の一等賞を得たことを縁に富山から同誌に挿絵を送るようになり、明治28年(1895年)には上京して川端玉章に入門。日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会等で受賞を重ね、人気が高まる。明治37年(1904年)に国画会で戦争展覧会を開いて盛況、明治38年(1905年)には若手作家を糾合して大同画会を発足させ、国画玉成会へ合流する。明治40年(1907年)の第1回文展に入選するが、明治41年(1908年)に岡倉天心と衝突して国画玉成会を弟の国観とともに退会。明治42年(1909年)の第3回文展で『茸狩』が三等賞、明治43年(1910年)の『おとづれ』や明治44年(1911年)の『水』が二等賞と注目を浴びるが、台頭してきた学校派との根強い対立によって、大正2年(1913年)の第7回文展には兄弟そろって落選。この落選の原因が美術行政制度にあるとして大正4年(1915年)には衆議院議員に立候補するも落選、多額の負債を背負い、濫作で自ら画名を落としていく。大正末には未来派に接近、前衛グループ八火会を結成するなど再起を試みるも、昭和11年(1936年)6月2日歿(58歳)。
以上よりこの松竹梅が竹坡の濫作の一つなのかも知れないと思うと複雑な気持ちです。


2011年01月05日(水)   No.387 (私設絵画館)

新春のご挨拶
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新春のご挨拶
 毎年新年のご挨拶に伺う親戚でのスナップです。
去年も一輪生けて有った蝋梅が今年は大きな壺に投げ入れで生けてありました
2分咲きでしょうか?
私もこの場をお借りしまして皆様にも新年のご挨拶をさせて頂きます。
本年も宜しくお願い申しあげます。
2011年01月04日(火)   No.386 (独り言)

双鶴図(平岩長四郎)
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我が家の正月飾りの一つです。
双鶴図
平岩 長四郎(ひらいわ ちょうしろう)日本画家。
明治35年(1904)東京生。 東京美術学校卒業。
郷倉千靭に師事。院展特待・奨励賞、入選24。春展16、美協展招待 出品2。主に山や花を描く。昭和62年(1987)、88歳歿。
2011年01月03日(月)   No.385 (私設絵画館)

日の出の図(幸雪画)

元旦から我が家の床の間に毎年掛けれれる、日の出の図です。
磯にくだけた波しぶき、日本列島に新たなお日様が登ります。
作者「国井幸雪」岐阜県出身 専門仏画。
2011年01月02日(日)   No.384 (私設絵画館)

新年明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
 23年の元旦です毎年同じ状景ですが、我が家の正月です。
でも毎年同じ事が出来ること、それがすなわち幸せなんだと思います
静かに新年を迎えることが出来ることを喜んでおります。
 ニュ-スを見れば山陰の取鳥や島根では大雪で車の立ち往生やら電車の不通やらで大混乱だそうです、お見舞い申しあげます。

2011年01月01日(土)   No.383 (独り言)

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