*--後藤直の趣味のブログ--*


2011年05月の日記

睡蓮の花
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このところ極端な言い方をすれば春や秋が無く、いきなり冬から夏へ夏から冬への極端に季節の入れ替わりが激しいようにに思います。
四季が美しい日本、その四季の機微が俳句とか日本芸術のベースに成っているとの話を誰かに聞いた事を思い出しています。
昨日は初夏の花にふさわしく、姫小百合をご紹介しましたが、今日は盛夏の花
と言っても良いでしょうか?睡蓮の花をご紹介します。
今後藤工務所が外壁の塗装リニュ―アル工事施工中の新潟市東区のM様邸の庭に咲いていました。
2011年05月31日(火)   No.536 (散策)

姫小百合の花 友人のH氏邸にて
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姫小百合の花は初夏の花として私たちに清々しさを提供してくれます。
いつかはスケッチしてみたいなー。
2011年05月30日(月)   No.535 (散策)

「小屋と牛」(仮題) 作者は 朝井観波

今日はカッコウの鳴き声を今年初めて聞きました爽やかな夏の知らせの様に感じました。
カッコウの鳴き声はいいものですね。
絵は牛が農業の労働力として活躍していた時代の丁度新緑の今頃の牛小屋の状景です。
朝井観波独特の表現かもしれませんが牛は俺は主役だとばかりに自信ありげに此方を見ています。しっかりと自分の働き分を大きな顔して誇らしげに主張しているようです。

作者 朝井観波
あさい かんぱ
日本画家。東京生。父は漢学者の朝井国南。本名は行五。はじめ川端画学校に入学し、のち日本美術院研究所で学ぶ。大正6年再興第4回院展に初入選、同年荒井寛方に随伴し渡印。アジャンタ壁画を模写する。帰国後、インドの古代説話に基づいた作品を制作。また日本美術院院友となるが、平福百穂の画風にひかれ脱退。のち、帝展で入選を重ね活躍した。昭和60年(1985)歿、88才。

資料はヤフーの(noisetea.exblog.jp世界を記述したい)より
2011年05月29日(日)   No.534 (私設絵画館)

芍薬の花

去年は花を付けなかった芍薬が今年は一輪の花を咲かせてくれました。
牡丹の様に大きく派手ではありませんが、まさに芍薬らしいピンクの花です。
2011年05月28日(土)   No.533 (独り言)

白牡丹  新潟市秋葉区の新潟県立植物園にて

今年の牡丹の花も終わりました。
2011年05月27日(金)   No.532 (散策)

牡丹雀の染付鉢

牡丹の花と親子の雀を描いたものです。
この鉢は三つ揃えだったのを飾る場所も無い為に、一番小さいほうの鉢を分けて頂き求めたものです。
丁度牡丹の花の咲く頃に子雀たちが親雀といっしょに飛ぶ訓練を始める頃です
親子の雀の機微が心をなごませてくれます。
2011年05月26日(木)   No.531 (がらくた談議)

かなり伸びた筍です。

かなり伸びた筍です。
2011年05月25日(水)   No.530 (スケッチ)

黒牡丹   秋葉区の新潟県立植物園にて

黒牡丹   秋葉区の新潟県立植物園にて
2011年05月24日(火)   No.529 (散策)

筍    

江南区の旧横越町の駒込地区はたけのこの産地です。
2011年05月23日(月)   No.528 (スケッチ)

緋牡丹  秋葉区の県立植物園にて

緋牡丹  県立植物園にて
さすがに県立植物園だけあります手入れが完璧なのでしょうか、素晴らし花を楽しむ事が出来ました。
2011年05月22日(日)   No.527 (散策)

黄牡丹の花


5月19日にピンクの牡丹をご紹介しましたが同じK様邸の黄牡丹の花です。
2011年05月21日(土)   No.526 (散策)

東海一走の図  作者(高倉観崖)
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此の絵の賛になんと「新潟客舎に於いて」という事が記してあります。
旅が好きで俳句も好きだったという高倉観崖は大正の辛酉( しんゆう)
大正十年の夏に新潟のなんという旅館に泊まって此の絵を描いたのか興味は尽きないです。

高倉 観崖
たかくら かんがい
明治17年(1884)〜昭和32年(1957)
現在の大分市に生まれる。旧姓安東,本名孫三郎。明治38年(1905)京都市立美術工芸学校絵画科卒業。竹内栖鳳・山元春挙に師事する。大正3年(1914)第8回文展「鴨川の春」で入選,襃状を受ける。大正4年(1915)第9回文展「密柑」。大正5年(1916)第10回文展「春の遊び」。大正7年(1918)第12回文展「浙江所見 水郷春色・宮苑の夏・山寺春色」が入選する。その後画壇を離れ,俳画を描いた。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館
2011年05月20日(金)   No.525 (私設絵画館)

お客様のK邸の玄関前に咲いていた牡丹です。

お客様のK邸の玄関前に咲いていた牡丹です。
私は花はあまり派手で無く、清楚に咲いたのが好みと常ずね言って来ましたが、牡丹の花を見るとその考えに牡丹は別格といわざるを得ないのが本当のきもちです。
2011年05月19日(木)   No.524 (散策)

新潟県立鳥屋野潟公園です。
私は五月は一年中で一番晴れる日が多い様に思います、実際のところはどうなんでしょうか。
現場の帰りに公園のまえを通り掛かりでした、時間は丁度午後6時だったので夕方の散歩でもと思い一人で散策しました。
市内の公園ですがたっぷりと自然を感じる事が出来ました。
なかなかいいものです、ぜひ皆さんも如何ですか。
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一番最後の写真の白い石ですが、何年か前までは糸魚川産の翡翠の原石と表示されていたものと記憶しておりました、表示板をさがしましたが見当たりません盗難を恐れて外したのでしょうか、それとも私の思いこみでだったでしょうか。
2011年05月18日(水)   No.523 (散策)

富貴花

お客様のお宅へ御挨拶にお伺いしたときのことです。
客間の一画に生けて有りました、さすがにその豪華さにみとれるほどでした。
牡丹のことを花の王にたとえるのも必然かもしれないなと思いました。
2011年05月17日(火)   No.522 (散策)

枸杞
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昨年の秋2010年11月02日に私の枸杞の木をご紹介致しましたが、サッパリ実が付かないことで悩んでいることを御紹介しました。
今日は新芽の状況をお見せ致しますあんまり伸びるので今カットしたところです。
アーチにセットして楽しんでおります。

「枸杞」Yahoo!百科事典より
ナス科の落葉小低木。高さ0.5〜1.5メートル、茎は細くて淡汚白色、葉腋(ようえき)に枝の変化した刺(とげ)がある。葉は互生または短枝上に5、6枚束生し、倒披針(とうひしん)形で長さ2〜6センチメートル、幅1〜2センチメートル、全縁、無毛で柔らかく、葉柄は短い。8〜10月、葉腋に淡紫色の花を1〜3個つける。花柄は花と同じ長さで、萼(がく)は短い筒状で先が浅く5裂し、漏斗(ろうと)状の花冠は上部で5裂して径約1センチメートル、基部に濃紫色の筋(すじ)がある。雄しべは5本で花糸の基部に白毛をつけ、雌しべは1本。果実は液果で、狭楕円(きょうだえん)形、長さ1〜2センチメートル。熟すと紅色となって下垂する。果肉も紅色で、中に扁平(へんぺい)な腎臓(じんぞう)形の種子が20〜30個ある。アジア東部に広く分布し、日本では川の土手などにとくに多い。

栽培はきわめて容易で、挿木でもよくつき、肥料も必要としない。徒長した春の枝は花のつきが悪いので、夏の土用に当年枝を切り、植え替え、土用芽を出させるとよく花をつける。千年枸杞と称して樹木状になっている株は、長い直根を毎年地上部に引き上げて幹のようにしつらえたものである。漢方では、果実を乾燥したものを枸杞子(くこし)と称し、滋養・強壮・強精薬、糖尿病や眼病の治療薬として用い、根を地骨皮(じこっぴ)、葉を枸杞葉(よう)と称し、解熱、止瀉(ししゃ)、解毒作用があるとして果実と同様に用いる。また葉を乾燥して茶の代用としたり、若葉をひたし物として食べることもできる。

2011年05月16日(月)   No.521 (独り言)

粟が岳  

5月5日にスケッチに行きました、先日5月6日掲載のものと場所を変えて
2枚目のスケッチしたものです。
2011年05月15日(日)   No.520 (スケッチ)

風薫る高原  作者 水田慶泉

[風薫る高原]
5月の高原でしょうか?
作者  水田慶泉 (練馬区立美術館より)
水田慶泉 MIZUTA, Keisen 1914-1997 1914年(大正3)大阪市に生れる。父は南画家の水田竹圃。1932年(昭和7)京都市立美術工芸学校卒業。父竹圃の画塾「菁莪会」に入り、水墨画を学ぶ。翌33年の第14回帝展に《奔涛》が初入選。以後、帝展、新文展に出品。1939年(昭和14)陸軍歩兵野戦病院部隊に入隊。戦後は1947年(昭和22)第3回日展に《翠巒》が入選以来、日展に出品を続けた。初期は水墨による写実的な風景表現を模索したが、戦後は色彩による堅固な風景画を展開した。1956年(昭和31)堂本印象の画塾「東丘社」に入る。1963年(昭和38)第6回新日展で《雲映える沼》が特選・白寿賞となる。翌年の第7回新日展でも《出雲の村》が特選・白寿賞となる。1981年(昭和56)仁和寺の高松宮記念書院の襖絵32面を揮毫。87年(昭和62)には金閣寺天井絵の復元事業に参加。1997年(平成9)京都で死去。

 
2011年05月14日(土)   No.519 (私設絵画館)

新緑の杜 

新緑の杜 新潟市東区の津島屋の神社の杜です、欅です。
昔晴れた休日に此の木陰で家族でそろって新緑を見に来た事がありました、今は27歳の息子が保育園の頃だったと思います、大凡20年も前の話です。
欅は今は剪定されてスリムになりましたがその当時は今よりずーと大きな樹でした。
今でもそうですが遠くから此の杜を見ると境内中がまるで1本の大きな木で覆われている様に見えました。そしてまさにこの木の霊力でしょうか、そのパワーで圧倒されました、身震いをした事を思い出します。
そんな迫力の津島屋の神社の杜だったのです。
若葉からは杜のオゾンがいっぱい振りかかった事だと思います。
心が浄化された様な気分です、今でもきっとそうだと思います。
2011年05月13日(金)   No.518 (散策)

あげは蝶  (羽かしたばかりです)

私がお客様にご挨拶をさせて頂いて玄関先の植え込みの中を見ましたら。今羽かしたばかりのあげは蝶です。
その美しさは宝石みたいに輝いて見えました、5月9日の朝の事でした。
2011年05月12日(木)   No.517 (散策)

「山麓」 作者 「石原春秋」とか?

「山麓」  作者「石原春秋」とか?
作者の経歴は今のところ、入手できません。
今頃の新緑の山麓です。
綺麗な画面ですが、なにか絵に深みが感じません。
絵は綺麗なだけではダメですね、そこから何か伝わるものがなくては・・・
2011年05月11日(水)   No.516 (私設絵画館)

笹川流れ

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笹川流れです、此の絵はH7年にスケッチしたまま未完成だったのです、
その後いつかは再度現場に出向いて完成をと思っていたものです。
5月4日に遂に出向く事が出来ました、16年ぶりだったのです、その間に地形も変化した様です、あの時に渡れた磯の岩場までは、今回は行けませんでした、通り過ぎた時間を改めて感じずには居られませんでした。
2011年05月10日(火)   No.515 (スケッチ)

五月飾り(桃太郎です)
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五月飾り(桃太郎です)
我が家には小さな子供は今のところ居りません、先日にもお話しましたが
大きな子供みたいなのが一人います、そんなことから桃太郎なんです。
まだ青い桃や赤い桃、青い桃から生まれた桃太郎、そして成長して鬼退治をして凱旋の桃太郎、
ご丁寧に鬼まで用意しました、すこし哲学している鬼ですが。
後ろの掛け軸は先日ご紹介しました頼石画の掛け軸です、そして桃太郎の色紙も用意しました、そうなんです、5月になると桃太郎にいかれポンチになるのです。
2011年05月09日(月)   No.514 (がらくた談議)

姫シャガ  

姫シャガの花は木陰か竹林の中でひっそりと咲いているのが似合う花です。
なんとなく涼しげで初夏の花として季節感漂う花です。
2011年05月08日(日)   No.513 (スケッチ)

「小山良修展」長岡市栃尾美術館
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「小山良修展」が長岡市栃尾美術館で開催中です
(23年4月23日〜6月12日まで)
5月5日の祭日に観賞して来ました、それはそれは、大変素晴らしかったです。
感動の連続です、私なりに感じた事はこれが絵なんだという実感でした。
つまり私が今やっている様な臆病な描き方では全く話にならないなー、ある意味のカルチャーショックだったのです。
からだと精神全てのパワーを絵にぶっつけて描いているように感じました。
昔、日本の南画家に何名かこの様な境地の絵を描く人がおりました、例えば「鉄斉」がそうだと私は自分なりに解釈しました、水彩と彩墨画の違いはあるものの、絵に取り組む姿勢や境地は似ている様に私は自分なりに解釈しました。とにかく良いものを観せて頂きました。
2011年05月07日(土)   No.512 (散策)

残雪の粟ヶ岳
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残雪の粟ヶ岳
5月4日と5日の2日連休にしました4日には笹川流れに、5日は粟が岳のスケッチに出かけました。帰りに長岡市栃尾美術館で小山良修展が開催されているという事で遠廻りして見てきましたが、素晴らしかったです。
私はなんて臆病な描き方なんだろう、小山良修展はある意味のカルチャーショックだったのです。
2011年05月06日(金)   No.511 (スケッチ)

今日は子供の日 「桃太郎」と「 鍾馗様」
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今日は子供の日です「桃太郎」と「鍾馗様」
我が家は小さな子供は居ませんが、大きな子供みたいなのが一人だけ居ます
大人になっても待ちどうしいのが子供の日です。
私たち雪国では今が一年中で一番素晴らしい季節です。
田んぼに水が入り木々の芽吹きが目に優しく、遠くの山には残雪が白い。
今日は休日です残雪の粟ヶ岳のスケッチでもして来ます。

作者は玉置頼石

●玉置頼石(たまおき らいせき)
明治32年(1899)〜昭和53年(1978)享年80歳。
日本動物画協会会長。日動会主宰。得意:虎。岐阜県出身。

2011年05月05日(木)   No.510 (私設絵画館)

夕暮れ時   新潟テルサ水彩画教室にて

「夕暮れ時」
新潟テルサ水彩画教室(初心者コース)H22年度下期での最終課題です。
2011年05月04日(水)   No.509 (スケッチ)

冬の土手ぞい(新潟テルサ水彩画教室にて)

「 冬の土手ぞい」
新潟テルサ水彩画教室にて
2011年05月03日(火)   No.508 (スケッチ)

冬晴れの渓流

昨日は「谷川岳」小暮成起の絵をご紹介しました。
今日は私の水彩画です「冬晴れの渓流」を掲載します。
2011年05月02日(月)   No.507 (スケッチ)

題  「谷川岳」  作者 (成起)

谷川岳 (一の倉沢でしょうか?)私も実は今から大凡15年前に一の倉沢
のスケッチをしたこと思い出しました。
その時は、たった今までお天気だったのに、みるみるうちに雨が降り出してどしゃ降りに合った事を懐かしく思い出しております。
絵は探しましたが見つかりませんでした、勿論下手な絵ですがそれはお許し頂いて見つかり次第掲載させて頂きます。

此の絵の作者
木暮成起 日本美術院院友   
2011年05月01日(日)   No.506 (私設絵画館)

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