*--後藤直の趣味のブログ--*


2011年08月の日記

木製小物入れ  (木の箱物シリーズ)
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引き出しを引き出すと箱の後ろに文化11歳8月14日住所は「信州更科郡○○」
名前は「○○与助」と名前や住所やその他を墨書きでいろいろ書いてありますが読めない文字が多いです。
関心するのは昔の人はきっとこの様に物を求めた時にその記録をしっかりと書き込んでそれを大切に使ったんだなーと、
今のような消耗生活とは全く違う事を実感として感じました。
2011年08月31日(水)   No.627 (がらくた談議)

木製の小引き出し    (木の箱物シリーズ)
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木製の小引き出しです、特別上等というより庶民が使う小物入れだと思います
ある程度の時代感をみているとなにかしらホットするというか、癒しの気持ちになれるです。
当時の鍵が付いていました、鍵がはぐれないで付いているのはなかなか手に入りにくい様です。
2011年08月30日(火)   No.628 (がらくた談議)

将棋盤      (木の箱物シリーズ)

無垢の板に引き出しを仕込んだ将棋盤です。
足は取れていてありませんが珍しなと思い求めました。
因みに板の裏に慶応三年と書いてありました、作成を依頼した人がしっかりと
墨書きで名前や住所を記入してありますが、達筆で読めないのです。
残念!
(村上市の閻魔堂骨董市にて)
2011年08月29日(月)   No.626 (がらくた談議)

一の倉沢

今年の5月1日に「谷川岳」木暮成起 日本美術院院友の作品をご紹介いたしました。「一の倉沢」かな?
と思ったりしました。その時、私も昔「一の倉沢」をスケッチした事を思い出しました。
探した処出て来ましたので恥をしのんで掲載致します。
H8年春とメモってありました、15年も前だったのですね。
時間の経るスピードとその大切さを噛みしめている処です。
そういえばあの時突然スコールのような雨に襲われ、山の天気の変わりやすさに驚いた事など懐かしく思い出していました。
2011年08月28日(日)   No.625 (スケッチ)

メルヘンチックな家
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陶器の家ヘンチックな世界
作者は大久保千秋先生
2011年08月27日(土)   No.624 (私設絵画館)

この様な仙人にあこがれます

主役は実は黒い石なのです、平らな部分が多いですが段石です。
その段石の高い方に五重の塔を配置しました、そして手前の絶壁にあたる処に仙人がひとり黙想をしているという、そんなイメージで楽しんでいるのです。
南画といわれる、文人画の世界を段石に演出してみた処です。
2011年08月26日(金)   No.623 (がらくた談議)

「実りの秋」(新潟平野の秋も、もうそこまで)

「実りの秋」
新潟市江南区(旧横越町駒込地内)の田んぼの状況です、稲の穂が膨らんで
色付いて、垂れ下がって来ました稲刈りも9月中旬には始まるそうです。
新潟平野の秋も、もうそこまでやってきています。
2011年08月25日(木)   No.622 (散策)

紅葉葵の花
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紅葉葵の花
早いものです昨年の夏にも此の花を掲載しました。
後藤工務所の裏庭の紅葉葵の花です、今頃に成るとやはりこの真っ赤なが花には惹かれるものがあります。
2011年08月24日(水)   No.621 (独り言)

朝顔の花
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朝顔の花
節電ということで人並みに「窓に朝顔」の発想でした、家内が人よりも2テンポくらい遅く植えまいた。
そのせいかいつになっても花芽が付かなかったのです、そしていつもより早い7月の台風の風で竹の支えごと倒れてしまいました、したがって窓には無縁の処に立て掛けたままあきらめていたのです。でも良くしたものです、お盆前くらいから咲き始めたのです。
嬉しかったです、いまさらながら生物のことは、そう簡単にはあきらめてはいけないなーと教えられました。
2011年08月23日(火)   No.620 (独り言)

「ししとう」です(実は木の彫刻です)
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8月16・17日そして21日に続きまして品田平二氏の木彫りの「赤ピーマン」をご紹介いを致します。
2011年08月22日(月)   No.619 (がらくた談議)

赤いピーマン  (実は木彫り彫刻です)
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8月16・17日のナス続きまして品田平二氏の木彫りの「赤ピーマン」をご紹介いを致します。
2011年08月21日(日)   No.618 (がらくた談議)

苔の動物

実は私の自宅の手のひらサイズの庭ですがなんと「お化けの苔」が居るのです
ほんとです、苔むした庭石に水をかけていたところ、写真赤マル印の中の垂さがった緑の苔が、じょうろで水をかけるとピクピクと動くのです、又少しですが岩をよじ登ったりします。
ビックリと気持ち悪さで見ています結構いっぱい居るのです、水をいっぱいかけると体がほころびる様にも見えます、どなたか正体を教えて下さいお願いします。
2011年08月20日(土)   No.615 (独り言)

紅葉葵の花

「紅葉葵の花」
後藤工務所の事務所の裏庭の紅葉葵を昨年の夏にご紹介しましたが、早いもので1年がたちました、花の横向きで同じ頃のスケッチです。
2011年08月19日(金)   No.613 (スケッチ)

ヒバの木

昨年の梅雨時に私たちの町内の「袋津町歩き」をご紹介しましたが、
大きなお屋敷の板塀よりかなり年代ものの、うっそうと茂ったヒバの木がありました、散歩をしながらその元気な姿にあやかりたいといつも思っていましたが、元気を表現出来ればと思いスケッチしました。
2011年08月18日(木)   No.614 (スケッチ)

「ナス 」 (実は木彫りの彫刻です)
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昨日に続きまして品田平二氏の木彫りの「ナス」をご紹介いを致します。
2011年08月17日(水)   No.617 (がらくた談議)

「ナス 」 (実は木彫りの彫刻です)
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じつになんてことも無い「ナス」ですですが此れが木で彫った彫刻のナスなのです、昨年の12月10日16日17日にご紹介しましたが品田平二の作品です、夏野菜のシーズンですので再びご紹介します。
2011年08月16日(火)   No.616 (がらくた談議)

「菊と蘭図」仮題   作者海山指頭
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「菊と蘭図」仮題   作者海山指頭
昨日に続き新潟の絵かき海山指頭の菊と蘭の絵です。
指の頭で描いた絵だそうです。
2011年08月15日(月)   No.612 (私設絵画館)

鮎の絵(仮題) 作者指頭海山
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鮎の絵(仮題) 作者指頭海山
今NHKの朝のドラマで「おひさま」が毎日放送されています、戦中戦後の頃の日本をイメージしながら私の父や母のその頃の時代と重ねあわせて時々見ています。
此の絵の作者指頭海山は、まさにその時代に日本各地を絵筆で一本で行脚し天覧の栄誉を得るまでに至ったとの事です、人生がつまり芸術的みたいとも思われる、そんな人生を送っている新潟の画家です。

作者は、新潟県出身の味方海山です。
自から指頭海山(海山指頭)と称し、指を使って絵を描いていたそうです。
数年前に新潟市北区の豊栄博物館で指頭海山を紹介する展覧会があり、その時は、あまり気にしないで、そこそこしか印象にありませんでした。
その後、ある人から新潟大学の岡村浩先生の著わした、
「阿賀野路を彩る文士ー磯野霊山と味方海山」を見せて頂きその生き様を知る事で、味方海山のファンになってしまいました、いずれ、この他に何点かご紹介致します。

味方海山(1863〜1942)。現在の新潟市中央区寄居町に生まれ。幼少から指先で絵や字を描き、画家としての才能を見抜いた父親が京都の南画家田能村直入に弟子入りさせた。
そこで海山は文人画を学んだが指頭画を貫いた。その珍しい描き方と、繊細な仕上がりに、人気を博し、特に梅と達磨の絵を得意とし、驚くほどの速さで仕上げたという。
また皇室や軍の上層部の人たちの前でもその描きぶりを披露していたことが当時の新聞に記されているという。
 長い間旅画家として全国を渡り歩いたが、晩年は新潟松浜に戻り79歳で亡くなった。

2011年08月14日(日)   No.611 (私設絵画館)

滝の絵(仮の題)グランドホテル所有 作者番場春男先生

暑い夏です今日は涼しい絵をご紹介致します、グランドホテルのホールに飾ってあったものを撮影致したものです。
涼しいでしょう、迫力に圧倒されました。
作者番場春男先生は加茂市の出身で院展特待まで行かれた人です。

番場春雄  
明治43年、新潟県生まれ。郷倉千靭に師事し花鳥、風景を得意とした。
日本美術院入選22回、奨励賞2回、白寿賞1回、県展委員も務めた。
2011年08月13日(土)   No.610 (私設絵画館)

関羽  絵の作者は法眼呉浚明(五十嵐浚明)
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「関羽」です。
絵の作者は法眼呉浚明(五十嵐浚明)です。真贋は勿論分かりません。
真贋よりも私は此の絵が好きです、関羽の顔の表情がなかなかなものと思っております。
関羽は決して人を裏切らなかったとの事です。
そこで中国では商売は信用第一という事で関羽を商売の神様として祭っているそうです。
私もその心を持ちたいと思い此の絵を求めて飾って見ています。
処で作者の五十嵐浚明も素晴らしい人です、因みに真贋は別として下記に経歴を掲載致します。
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.
五十嵐浚明 いがらし-しゅんめい
1700−1781江戸時代中期の画家。
元禄(げんろく)13年生まれ。京都で竹内式部に闇斎(あんさい)派の儒学を,江戸で狩野(かのう)良信に画をまなぶ。京都で諸派の画を研究,一時,呉(ご)浚明と名のる。法眼となって郷里越後(えちご)(新潟県)にもどった。天明元年8月10日死去。82歳。本姓は佐野。名は安信。字(あざな)は方篤(徳)。別号に孤峯,穆翁(ぼくおう)。

2011年08月12日(金)   No.609 (私設絵画館)

リフォーム(外壁の部)
下の写真は着手前の写真です(ビフォアー)
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下の写真は外壁工事が終わった処です(外壁のアフター)
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7月4日にもご紹介しましたが花壇建物にピッタリくっ付いていたことなどからシロアリにもやられてしまいました、それらを整理してシンプルに現代的な雰囲気に仕上げました。
2011年08月11日(木)   No.608 (お住まいのワンポイントアドバイス)

新潟テルサの水彩画(初心者コース)の状景です。

上の写真は新潟テルサの水彩画(初心者コース)の状景です。

下の写真は今回の課題「花」です私は白いユリの花を描きました。
2011年08月10日(水)   No.607 (スケッチ)

防犯の為に門扉の設置

上の写真はあるお宅の裏門に当たります。(ビフォアー) 

下の写真は防犯の為に門扉の設置しました。(アフター)
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防犯の為門扉を設置した処です(アフター)。
テレビや新聞を見ると、「ほんとか?」と疑いたく成る様な事件が続出しています
安心して暮らせる為にも、自ら防犯を考えねばならない日本の国に成ったようです。
2011年08月09日(火)   No.606 (お住まいのワンポイントアドバイス)

夏の山村風景(仮題) 作者 志賀正兆 
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夏の山村風景(仮題)作者 志賀正兆 
此の景色は新潟県では五泉市(旧村松町)を思わせるような季節は丁度今頃の山村の風景です、時代は昭和前期でしょうか、馬車を曳いています。
旧村松町は今でもこの様な緑が豊かに残っています、又川原が早出川を思わせそっくりで懐かしい景色です。
作者 志賀正兆(正人)は2010年の11月29日にご紹介しましたが。
作者について、長野県松本市の手塚奈緒美さんの解説です。
作家:志賀正人(正兆)ですが、長野県出身(詳細不明)で大正〜昭和期に松本市に在住して、現:松本深志高校で美術を指導していたとのことです。
長野県展の前身、全信州美術展の創設にも関わっていたとの話もありますが、定かではありません。
長野県内とくに松本・安曇野地域には山岳作品が残されています。

2011年08月08日(月)   No.605 (私設絵画館)

陶製の灯り(ステンドグラス)月や星みたいに
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陶製の灯り(ステンドグラス)月や星みたいに、きっと作者は夜空のイメージがあったんだろうと思います。
作者はたびたびこのコーナーにてご紹介しました大久保千秋先生です。
星や月をじっくり見るなんてことが無くなりました今はこんなものも、なかなかいいもんですね。
2011年08月07日(日)   No.604 (私設絵画館)

印肉入れシリーズ総集編

染付の印肉入れをまとめて見て下さい大きさがおわかりになると思います。
それにしてもくだらないものに喜んでいるとお思いの方もいるでしょうね。
2011年08月06日(土)   No.603 (がらくた談議)

染付印肉入れ。

印肉いれも、これが最後です。
此れが一番大きいものでΦ≒88mmの大きさです。
単純な山水の絵ですが、小さな丸の中にのびのびと描かれていて好きです。
2011年08月05日(金)   No.602 (がらくた談議)

染付印肉入れ。

本日も昨日に引き続き「染付の印肉入れ」です、気張ることがないですが
なかなか味のあるものだと思います。
2011年08月04日(木)   No.601 (がらくた談議)

花唐草文印肉入れ。

名前は松風亭造と書いてあります。

因みにネットで調べてみましたところ。
「仁阿弥道八だそうです」
父の号を受け継いで松風亭を名乗り、独立して華中亭とも称し、この号は代々用いられることになる。京焼における磁器の完成者奥田頴川の弟子となり、同門の青木木米と共に当時の三大名工として名を残している
但しこの印肉いれが道八かどうかはまったく確信は御座いません。
でも私には、なかなか気に入って居る一品です。
2011年08月03日(水)   No.600 (がらくた談議)

波千鳥 染付墨壺(印肉)入れ?

引き続染付の小品をご紹介します、波千鳥が心地よく描かれております。
スペースと予算の都合で我が家には小品しかありませんが、でも十分楽しんでおります。
2011年08月02日(火)   No.599 (がらくた談議)

蓮の葉の向こう付け 

蓮の葉の向こう付け  
夏の暑い時は、絵なら墨絵、焼き物は染付が涼しさを誘う様な気がします。
作者(メーカー)は字が読みにくいので間違っているかもしれません。
不老軒 亀寿作と私は読んでいますが、確実に読めるのは不老○ 亀寿○
です。

因みに本日ネットで調べましたら、不老軒 亀寿はなんと明治三年、徳川御三家紀州藩出入方に任命されました名工、との事でした。


2011年08月01日(月)   No.598 (がらくた談議)

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