*--後藤直の趣味のブログ--*


2012年01月の日記

江南区横田医院さんの三春の枝垂れ桜

桜のシーズンになりますと、今は此の桜も知名度が上がり、テレビ・新聞・ラジオで報道され皆さんを楽しませてくれています。
調度今、真冬の厳しい姿を撮影しました。
やがて来る花の季節の為にしっかりと体力を蓄えて準備中と思わせるような力強さがみなぎっている様です。
真冬の木もいいですね。
2012年01月31日(火)   No.783 (散策)

富士山図               (漆器盆)
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富士山図(漆器盆)大きさ665mm×665mm(炬燵の上に乗せるものかも?)
此の絵を見たときに、遠い昔の記憶を思い出しました。
それは私が富士山の絵が好きな事と潜在的に関係しているかのもしれません。
私が7〜8歳くらいの頃の正月の出来事でした、年始のお客様も帰られて親子でくつろいでいた時の事です、お屠蘇でほろ酔い気分の父が退屈しのぎで私たちに描いてくれた富士山の絵です、まさに此の絵の感じでした、視線はもっと低かった様ですが「近景の松原と、海に帆掛け船、遠くに富士山、空には鳥が飛んでいます」
実は此れは幾昔かまえの富士山の定番でしたが、でも新しい紙に墨でなんのためらいも無く、すらすらと描いた父に対して子供ながらに羨望の目で見ていた事を思い出したました。
2012年01月30日(月)   No.782 (がらくた談議)

富士図漆器盆

ちいさのお盆です(W270mm×H175mm)
この様な漆器盆は実際の用途は何なのでしょうか?どこの産地かも分かりません。
富士の雪は銀色ですが銀をつかったものでは無い様です、これは少し安っぽいです、もっとも安いのですが。
山の稜線は彫りによる段差が光に当たって光って線を描いた様に見えます。
稜線の下方の鳥三羽は貝ずりです、水面が黄土色で、樹を茶色にしたのが漆という素材からかなと思っています。
塗の水準は分かりませんがそんな立派さを感じさせるものではありません。
ただゆったりと、富士山が盆いっぱいに描かれているのが珍しいと思いました。
私は焼き物でも漆器でも富士山が描かれているものが有ると、
ついつい気に成るのです、意外と有るようでないのです。
2012年01月29日(日)   No.781 (がらくた談議)

椿一輪(仮題)        作者 間 瀬 琳 一

花のイメージはまさに今の季節に咲いている椿に見えます。
作者 間 瀬 琳 一は日展系の作家です下記に経歴をご紹介します。
ませ・りんいち 1914年、愛知県半田市生まれ 西山翠嶂・嶋谷自然川端龍子に師事 日展会友 青龍社展賞受賞 2001年、歿 享年87歳
2012年01月28日(土)   No.780 (私設絵画館)

西蒲区巻地区のぞきからくり屋台復活
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西蒲区巻地区のぞきからくり屋台復活の記事です1月19(木)の新潟日報朝刊に掲載されていました。
巻郷土資料館にはなんと昔からののぞきからくりの屋台があるのです、又実際に口上を聞きながら、のぞきからくりをのぞく事が出来るのです。
レトロな屋台なんとも言えない口上の雰囲気、まるで昭和初期にタイムスリップすることが出来ます、ぜひ皆さんにもお勧めします。
新聞記事ではのぞききからくり屋台の復活が3月完成との情報です。
又写真はその時に公演する「八百屋お七」の現物パネル絵です昨年郷土資料館に飾られていたものを取材したものです。

写真は巻郷土資料館の屋台です。
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写真は巻郷土資料館の八百屋お七のパネルです。
2012年01月27日(金)   No.779 (独り言)

新雪の庭

我が家の小さな庭の雪景色です。
随分と昔のスケッチですが、今日は外は雪景色でしたので掲載しました。
2012年01月26日(木)   No.777 (スケッチ)

飯豊連峰の大日岳

飯豊連峰の大日岳。
雪晴れの飯豊連峰はすがすがしさを感じさせてくれます、大日岳を近くの田圃道に車を止めてスケッチしました。
2012年01月25日(水)   No.778 (スケッチ)

冬山粟が岳          

冬はどうしても出不精になります。
このスケッチは随分と前に山の麓から車の中でスケッチしたものです。
加茂市側からの粟が岳です。
2012年01月24日(火)   No.776 (スケッチ)

真っ赤なピラカンサスに尾長とりや椋鳥がやって来ました。

昨年の12月17日の雪の日の紹介でした、赤い実のピラカンサスに毎年来るはずの小鳥がやって来ませんとのことでした。
心配していたのですが昨日の日曜日から尾長鳥や椋鳥が鳴き声もうるさくやって来ました、いっぱい来たので此の赤い実もあっという間に無くなることでしょう。
鳥たちの顔を見てホットしました、でも相変わらず雀が見当たらないのです心配だなー。
2012年01月23日(月)   No.775 (独り言)

 星伸二展       
新潟市中央区万代の「ギャラーリーゆうむ」で星伸二展が1月6日〜1月21日の間開催されていました。
私は西村満先生の新聞の紹介記事に惹かれて観て来ました。
写真で御紹介します、勿論了解をえて撮影したものです。
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私がお伺いした時にタイミング良く星伸二先生もギャラーリーに調度こられた処でした、タイミングよく先生にお会いすることが出来ました、お話で取材は奈良の古民家やお寺が多いとの事でした。
2012年01月22日(日)   No.774 (私設絵画館)

大きな盆栽 (米栂)       

建築工事の基礎や玄関のタイル張りの工事などを施工してくれる、左官屋さんで友人のHさんのところへ打ち合わせに行った時のことです。
なにかと寒い冬は左官工事は天候に左右される事が多いものなのです天候によっては仕事が出来ない日もあるのです。
だからこそ、そのタイミングでこの様な立派な盆栽を手入れしていたのです、手入れと言うよりは可愛がっていたという方が正しいかもしれません。
顔はイカツイのですが、気だてと顔に似合わずこの様な立派な盆栽を仕立てるのです。
人は見かけに寄らないとは、この人のことなのかなーとシャッタ―を押しました。
2012年01月21日(土)   No.773 (散策)

大きな鉄のモニュメント   エムスタジオにて
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昨年も雪の季節にご紹介しましたが、更に大きな鉄のモニュメントです。
抽象的な造形の彫刻がまるで異次元の世界へ誘ってくれます。
2012年01月20日(金)   No.772 (私設絵画館)

白い山茶花の花  〔テルサ水彩画教室にて]
 
絵 後藤直
教室の講師の栃倉先生は花びらや葉を一つ一つ描く様なことをしないで、
花のモチーフから音楽の様にリズムを感じる様な表現をする様に指導をしてくれました、残念ながら私はまだその様な表現に至りませんでした。
写生の領域から抜け出るまでにはもう少し努力がいるようです。
栃倉先生の様に花や物をみてあの様にイメージ出来れば楽しいだろうな、しかしそれなりの訓練が必要なんだろうなと思っている処です。


因みに下の写真は栃倉先生の描かれた絵です先生のイメージを大切にした
見たままの写生からまさに音楽の音符みたいにリズミカルを感じるような絵をご紹介します。

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絵 栃倉喜義 先生 (参考作品)
2012年01月19日(木)   No.770 (スケッチ)

叭叭鳥 作者  仙田菱畝
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昨日はヒヨドリが帰って来た様だとの記事を掲載しました。
今日は冬で似た様なイメージの鳥の絵です。

鳥の名前は(叭叭鳥/哥哥鳥)勿論実際の鳥は見たことが有りません、中国の伝説の鳥かと思っていましたが実在する様です。

因みにネットで調べて見ました。
ムクドリ科の鳥。全長27センチくらい。全体に黒色で、翼に白斑があり、額に冠羽をもつ。飼い鳥とされ、よく人になれる。中国・東南アジアに分布し、台湾の亜種を加令(カーレン)とよぶ。小九官鳥。ははちょう。

作者の仙田菱畝は新潟出身という事もあり旧新津市地内にも逗留していた事があるとのことでした。
その地域には結構菱畝の絵を持っている人もいるようです。
仙田菱畝(せんだ・りょうほ)明治26年新潟県東頸城郡小黒村に生れる。兄は日本画家の石塚仙堂。幼少より絵を好み、後に画家を志して東京に出て、荒木十畝に師事し学ぶが、その後は小室翠雲に学んで花鳥を得意とし、東京目黒に住して日本南画院に出品を重ね兄と共に活躍した。また昭和43年には兄の石塚仙堂と共に五智国分寺境内に筆塚を建立するが、兄に先立って翌年昭和44年没。享年 77才。

2012年01月18日(水)   No.771 (私設絵画館)

ヒヨドリが帰って来ました。
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毎日車を運転しながらラジオを聞いています、NHKのラジオビタミンです。
今日の朝、ある人からのお便りで、
「いつも来るヒヨドリやメジロが今年は来ません」との事でした、
「寒さが特別厳しいのでどこかもっと南の方へ行ったのでしょうか?」
とお便りの紹介でした。
私も昨年の暮れになにか鳥たちに異変が起きているのではないかと心配していました(2011・12・17)に掲載しましたが、毎年来るヒヨドリだと思うのですが新年になってやっと顔を見せてくれましたホットしているんですが、でも小鳥たちが少ないように思います特に雀の鳴き声まったく聞こえません。
なにか異変が起きている様な胸騒ぎを覚えるのです。
人間は小鳥も居ない様な楽園を造って、そこで暮らしてそれで満足が得られるのでしょうか?建築屋の一人として胸が痛みます。
因みに雀が少なくなっている原因の一つは屋根や瓦の構造と関係して、なかなか巣造りが出来ない状況にあるとことでした。
2012年01月17日(火)   No.769 (独り言)

冬の果樹園

写真の向こう岸は小阿賀野川左岸です、地名は新潟市秋葉区の大蔵といいます。晴れると雪の五頭連邦が輝いてなかなかな良い景色なのです昨年3月7日に此処からのスケッチを掲載しましたが私にとってはお気にいりの場所なのです。
そういえばあのスケッチをしていた時に暖房の為に車をアイドリングにして絵を描いていて、バッテリーがあがってしまいました。
大変な思いをした事を今思い出しながらシャッターを押している処です。
そのときは山の中でなくてよかったなーと、胸を撫で下ろしたものでした。
下の写真がその時のスケッチブックです。
2012年01月16日(月)   No.768 (散策)

山茶花の花一輪
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正月休みに絵を二枚描きました、そのうちの一枚です。
白い山茶花の小枝をA4サイズにスケッチしました。
2012年01月15日(日)   No.767 (スケッチ)

山茶花の花一輪

昨日紹介しました地元の古民芸店の「やどかり」に小さな壺に一輪生けてありました。花も壺もお互いがピッタリといったところです。
2012年01月14日(土)   No.766 (がらくた談議)

日本の民窯徳利展にて。
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地元の古民芸店(やどかり)で「日本の民窯、徳利展」がありましたので見て来ました。
写真の徳利は形が大変似ているので産地は同じかなと、思いながら見ていましたらところが、なんと九州〜東北まで産地はかなり離れた処で作られているとの説明を受けてビックリしました。
参考までに並べてもらって写真撮影させてもらいました、同じ処の産地といってもよいほど似ていますよね。
店のご主人が言う事には「北前船にて文化も物も伝播しているんですよ」との事でした、店主は「焼き物だけではなく、漆器なんかも伝播の跡をみていると面白いですよ」
「新潟は湊町でしかも天領であっただけに江戸、東京との関りもあるのです,
特に新潟は漆器職人がそうなんです」との事でした。
そういえば民謡なんかも似ている歌がありますよね。
今更ながら北前船や藩や・天領の体制は物流だけでなく文化も流通させたんだなーと実感したところです。
2012年01月13日(金)   No.765 (がらくた談議)

雪景色(仮題)        作者 岸田蒼坪

今日は全国的にこの冬一番の寒さだった様です、絵は京都の絵描きが描いた
雪景色です雪の厳しさよりも、むしろなにか雪深い山村の暖かさが表現されている様です。

岸田蒼坪(きしだ・そうへい) 師・堂本印象。日展入15回。日春5回。京展賞入26回。東丘賞入17。外遊。京絵。京都市左京区住。
2012年01月12日(木)   No.764 (私設絵画館)

特別大きな獅子頭です。

昨年もご紹介しましたが、毎年11日が私たち亀田建築組合の総会なのです昨年の1月12日にその様子はご紹介しました。
昔からこの地域では1月11日が大工さんの仕事始めだそうです、又の呼び名を「ちょうな始め」ともいいます。
その伝統の日に合わせて、組合の総会に当てたとの話です。
写真はその会場の玄関ホールに飾られた巨大な(≒1m以上)
の獅子頭です、私もビックリしてシャッターを押しました。
そのデテ―ルから富山の井波彫刻でしょうか?
2012年01月11日(水)   No.763 (独り言)

果樹園の冬
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果樹園の冬、梨の木の棚です、冬で一休みの様に感じました。
まさに眠っているようです。
2012年01月10日(火)   No.762 (散策)

冬晴れに柿の赤い実です。
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ずっと天候がぐずついていました、少し晴れ間に近所を散策です、私は田舎育ちのせいかどうしてもこの様な景色が目に止まるのです。
冬の澄んだ空の青と赤い柿の実が清々しく見えました。
2012年01月09日(月)   No.761 (散策)

洋ラン         新潟市石山の植物園にて
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昨日と同じ頃にスケッチしたものです。やはりその時は本画にするためにイメージしながらのスケッチだったのです。
2012年01月08日(日)   No.760 (スケッチ)

 デンドロビューム
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いまから25年も前のスケッチです、当時は絵にする為の取材としてこの様なスケッチをよくしたものです。
その時は本画のイメージを膨らましながら、スケッチしたものですが、実現しないうちに時間が過ぎ去ってししまいました、重い気持ちで眺めいた処です。
2012年01月07日(土)   No.759 (スケッチ)

台所用具他      (新潟テルサ水彩画教室)

今回の課題は、ステンレスや鉄の素材感などの表現力、それからそれれらを組み合わせて構成力が,ポイントとの事でした。
教室の長テーブルに無造作に置いただけのモチーフを一つの画面に納めた状況ですので、荒削りの画面に成ってしまいました。
レクチエは私が自分で調達して画面の下に納めてみたのですが果たして必要だったのでしょうか?
23年度下期の2番目の課題です。
2012年01月06日(金)   No.758 (スケッチ)

富士山(仮題) その5    作者 利倉群青

この富士山は昨年の2月1日に掲載しました、再度掲載します。
富士山はやはり日本の象徴的な山だと思います、山には人格はありませんが
作者はやはり精神的な象徴として表現すると思います。そんな意味でそれぞれの富士山を掲載してみました。
作者 群青
画家 利倉 群青(としくら ぐんじょう)
性別:男
生年:1911年(明治44年辛亥)
年齢:101歳?
時代:明治〜平成
地域:日本
生地:大阪府
師匠:堂本印象
分野:画家 日本画
2012年01月05日(木)   No.757 (私設絵画館)

富士山(仮題) その4    作者 一郎?読が難いです。

作者は、不明ですが。
私は富士山と新潟県人として妙高山が好きなのです。
実は、どうして絵描きさんは富士山や妙高山をもっと描かないのだろうと不思議におもっているのです。
2012年01月04日(水)   No.756 (私設絵画館)

富士山(仮題) その3       作者「安達光嶺」

お正月ですので富士さんシリーズです。
作者は「安達光嶺」作者不明でしたが今年安達光嶺との事で名古屋の作家で堂本印象のお弟子さんとのことでした、御縁のあった京都在住の方からご連絡がありました本当に有難うございました。

参考ですが
因みに金子光嶺という作家がおりました。
明治14(1880)〜大正8(1919)出身、神奈川県
私は此の絵を描いた人は別人だと思います。
理由は大正時代にこの様な厚塗りの日本画は、おそらく、まだだったと思います。
たぶん、終戦後の技法だと思うのです。
どなたか作者がおわかりの方おしえて下さい。
2012年01月03日(火)   No.755 (私設絵画館)

富士山(仮題)  その2        作者 水田慶泉
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作者  水田慶泉 (練馬区立美術館より)
水田慶泉 MIZUTA, Keisen 1914-1997 1914年(大正3)大阪市に生れる。父は南画家の水田竹圃。1932年(昭和7)京都市立美術工芸学校卒業。父竹圃の画塾「菁莪会」に入り、水墨画を学ぶ。翌33年の第14回帝展に《奔涛》が初入選。以後、帝展、新文展に出品。1939年(昭和14)陸軍歩兵野戦病院部隊に入隊。戦後は1947年(昭和22)第3回日展に《翠巒》が入選以来、日展に出品を続けた。初期は水墨による写実的な風景表現を模索したが、戦後は色彩による堅固な風景画を展開した。1956年(昭和31)堂本印象の画塾「東丘社」に入る。1963年(昭和38)第6回新日展で《雲映える沼》が特選・白寿賞となる。翌年の第7回新日展でも《出雲の村》が特選・白寿賞となる。1981年(昭和56)仁和寺の高松宮記念書院の襖絵32面を揮毫。87年(昭和62)には金閣寺天井絵の復元事業に参加。1997年(平成9)京都で死去。

2012年01月02日(月)   No.754 (私設絵画館)

明けましたおめでとう御座います。(富士山)その1 

新年にふさわしく富士山「暁の富士」漆絵にしました。
(23、12、8に掲載しました二度目の登場です)
2012年01月01日(日)   No.753 (私設絵画館)

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