*--後藤直の趣味のブログ--*


2011年04月の日記

上高地(大正池) 作者 水田慶泉

新緑の大正池です、実は私は、まだ上高地を此の目で見たことがありません、
写真や絵でその美しさを見ているだけです。「いつかは行ってみたいなー」

作者水田慶泉
みずた けいせん
1914-1997 1914年(大正3)大阪市に生れる。
父は南画家の水田竹圃。
父竹圃の画塾「菁莪会」に入り、水墨画を学ぶ。
翌33年の第14回帝展に《奔涛》が初入選。以後、帝展、新文展に出品。
1939年(昭和14)陸軍歩兵野戦病院部隊に入隊。
戦後は1947年(昭和22)第3回日展に《翠巒》が入選以来、日展に出品を続けた。
初期は水墨による写実的な風景表現を模索したが、戦後は色彩による堅固な風景画を展開した。
1956年(昭和31)堂本印象の画塾「東丘社」に入る。
1963年(昭和38)第6回新日展で《雲映える沼》が特選・白寿賞となる。
翌年の第7回新日展でも《出雲の村》が特選・白寿賞となる。
1981年(昭和56)仁和寺の高松宮記念書院の襖絵32面を揮毫。
87年(昭和62)には金閣寺天井絵の復元事業に参加。
1997年(平成9)京都で死去。


2011年04月30日(土)   No.504 (私設絵画館)

稲架木(はさぎ)  作者 (のぼる)
,
新潟の田んぼにも水が入りました、丁度此の絵の様な季節になりました。
でも新潟では今は田んぼにはめったに稲架木は見ることはできません、懐かしい景色です。
此の絵は昭和42年の作品です。

仮題 稲架木(はさぎ)  作者 (のぼる)
絵の落款の「昇」の字がすこし違う字の「のぼる」です。
落款と同じ字ののぼるを探してみました、「小井土のぼる」が同じ書き方の
「のぼる」でしたが、パソコンで書けない字です、小井土の確証はありませんが、この「のぼる」は小井土しか見つかりませんでした。

因みに参考までに、小井土のぼるの経歴を掲載します。
画家  小井土 昇(こいど のぼる)
苗字:小井土(こいど)
名前:昇(のぼる)
性別:男
地域:日本
分野:画家 日本画
得意:山水
師 児玉希望
日展会友

,
絵の稲架木(はさぎ)の様な芽吹きは新潟の稲架木(はさぎ)にはありません
似たような芽吹きをさがしてみました、新潟市東区の津島屋の鎮守の森の欅の芽吹きです。
2011年04月29日(金)   No.503 (私設絵画館)

こぶしの花がほんとの1輪、咲きました。
, ,
こぶしは頂き物の盆栽です、手元で8年くらい育てたものです。
育てたなんて、水やりくらいなものですが。
2011年04月28日(木)   No.502 (独り言)

石楠花の花
, ,
石楠花の花が咲きました。
昨年もたしかご紹介したかも知れません、でもやはり嬉しいものです。
自分で可愛がっている花が「今年もまた咲いてくれたなー」「有難う」
と言う気持ちで花をながめているのは、私だけではないと思います。
2011年04月27日(水)   No.501 (独り言)

春の山野草雪割り草
,
少しときが過ぎましたが、雪割りそうの時期に撮影したものです。
小さな美術舘季にて
2011年04月26日(火)   No.500 (散策)

春の山野草

小さな美術館季にて。
コバイモでしょうか?
2011年04月25日(月)   No.499 (散策)

水芭蕉の花  田上の椿寿荘にて
,
水芭蕉の花  田上の椿寿荘にて
2011年04月24日(日)   No.498 (散策)

カタクリの花

小さな美術館季にて
2011年04月23日(土)   No.497 (散策)

キクサキイチゲ。
  , ,
小さな美術館季にて。
2011年04月22日(金)   No.496 (散策)

これも壺中天でしょうか?
,
これも壺中天でしょうか?
小さな美術館季にて。
2011年04月21日(木)   No.495 (散策)

春題   作者(中島光輪)
, , ,
桜の花と竹林の表情が印象的です。
下の写真はこの絵の中の表情をイメージして写真を撮りました、山里がこの絵の景色になるにはもう少し時間がいると思います。
【中島 光輪】(なかじま こうりん) 明治41年 大阪生まれ。 師:川端龍子。 元青龍社友、入選14。春展入14。 ...

中島光輪は細部にとらわれず、大きな構成で山里の景色を切取って掛け軸の中に十分表現していると思います。
私の好きな絵の一つです、ちなみにこの絵は私が若い頃2枚目に購入した絵です。当時旧栃尾市に単身赴任で仕事通っており、途中の道中で山里の景色には安らぐものがいっぱいありました。
帰り道の三条市内の山田美術店にて求めたものです。
2011年04月20日(水)   No.494 (私設絵画館)

猛虎一声  作者(為山)
, , ,
NHKの連続ドラマおひさま(私はたいようの陽子)を見ていましたら、丁度昨日のドラマでは昭和13年に日本軍が中国へ進攻し日中戦争となりドラマもこれから戦争の様相が濃くなるのかなと思って見ていたところです。私の母と同世代のお話だそうです。
 なんとこの虎の絵の賛には「皇軍之武威輝」「昭和戌寅春日」「為山」と書いてあります。つまりドラマと同じ昭和13年の春に描かれた猛虎図だったのです。
私が若い頃、何人かの絵の先生のお話を聞いたことがありました「戦時中は戦争を賛美する様な絵を描かないと配給の絵具が廻って来なかった状況だった、そんな分けで絵描きはなにがしかの戦意高揚につながる様な絵を描かなければいけなかったのです」と。それらが若者を戦争へかりたててしまう一助となったんではないかと、終戦後、絵描きは皆それに苦しんだものだとのお話でした。
丁度此の絵もまさに歴史を語る証人みたいなんだなーと思いながら眺めている処です。
作者の為山は二名おります此の絵を取り扱っている業者さんは、下村為山といっております。ちなみに為山について松山市のホームページで紹介します。
下村 為山 (しもむら いざん) 本名:二神純孝 別号:留華洞、不觚庵、雀蘆 俳号:冬邨、百歩、牛伴
洋画家、俳人、俳画家(近代南画)
慶応元年(1865)5月21日、松山城下出渕町(現松山市三番町)に生まれる。昭和24年7月10日、富山県にて84歳で没す。
 明治15年に上京、洋画を本多錦吉郎に、ついで小山正太郎の門に入り、不同舎の四天王として中村不折とその技を競った。明治美術会では森鴎外にも注目され、将来を嘱目された。
内藤鳴雪の従弟にあたり、常盤会の鳴雪を訪ね、二歳年少の正岡子規とも親しくなり、明治26年子規の俳句革新運動には牛伴と号して熱中した。子規選「俳諧十六家」に、牛伴は選ばれ、肖像画など、牛伴画・子規句の「一画一句帖」などの俳句は子規に評価された。
 一方、子規と画論を闘わし、日本画の欠点を指摘するなど子規の写生論深化にも貢献した。
 子規没後、地方をまわり、肖像画や洋画を描くのみならず、子規らと励んだ俳句趣味が甦り、俳画を研究。自ら新鮮な感覚で句と応じた画境を啓示し、大正4年東京に帰り、51歳にして家庭も持った。
 終戦後、長野へ、自宅が空襲焼失し、富山へ疎開し、84歳で没す。


△發Π貎佑琉抻魁峭盪外抻魁
因みに高山為山は 大正〜昭和の日本画家西山翠嶂の門下で、主に官展で活躍した
明治26年〜昭和20年享年53歳名前は喜一出身京都市(物故 書画家 雅号一覧にてよる)

此の絵はどちらの作者か私には不明です、たとえどちらにしても素晴らしい虎の絵だと思います。
2011年04月19日(火)   No.493 (私設絵画館)

満月に梅の花

調度今晩みたいです、満月と梅の花は。
2011年04月18日(月)   No.492 (がらくた談議)

椿の名前は「春曙光」
,
椿の名前は「春曙光」、此の椿は私たちの結婚したての頃に記念の積りで求めました、あの頃はこの花みたいに淡くもフレッシュなところだったんです、人生長くやっていると、いつまでもこの花の様なわけには行かない様です、その分なおさらに「此の花に惹かれるものがあるのかなー」なんて考えています。
2011年04月17日(日)   No.491 (スケッチ)

「三春の桜の孫桜」だそうです。
,
此の桜も、もうすでに袋津名物の一つに成ったようです、昨日テレビで放送されたとか。
袋津の横田内科医院のしだれ桜です、聞くところ「三春の桜の孫桜」だそうです。
私は三春の桜をまだ見たことがありません、三春は花の町と昨年テレビで見ました。
三春は今回の地震では被害がどの程度だったのでしょうか、せめて被害が最小限であって欲しいと祈るのみです。
2011年04月16日(土)   No.490 (散策)

藪椿の花
, ,
「藪椿の花」実は此の絵は2009年4月13日に一度掲載したものです、どうもなにか納得の行かない処がありましてバックを少し手直しをしたものです。
でもあまり変わり映えしませんね。
2011年04月15日(金)   No.489 (スケッチ)

私が可愛がっている椿が今見頃です。
, ,
私が可愛がっている椿が今見頃です。
待ちどうしい花の季節がやってきたのです、やはり雪国にとっては春は,
いいですね。
2011年04月14日(木)   No.488 (スケッチ)

阿賀野川     作者  高見朝蒼

阿賀野川は福島県から新潟県を流れて日本海に至ります。
新潟県に入って途中、特に険しい山なみを蛇行しながら勢いよく、流れていきますその景色は第一級といっても良いでしょう。
此の絵の景色は福島県境から会津までの中ほどでしょうか、会津坂下に至る少し下流かなと思います、遠くに見える白い山なみが飯豊連峰でしょう、会津盆地を流れる阿賀野川は只見川と合流することで水量は豊富でしかもゆったりと流れていきます、作者はそのような新緑の阿賀野川の景色をよく表現しているものと思います。
此の絵は「阿賀野川」との題名であったからこそ求めました、でも私の好みという描き方では御座いません、むしろ筆達者かそれがゆえか、私は作品に深みが乏しい様にも感じております。でも阿賀野川を描いた絵というのは、なかなかありません郷土を流れる阿賀野川と遠くに見える真っ白な飯豊連峰を愛でる積りで眺めています。

アルティスより
画家  高見 朝蒼(たかみ ちょうそう)
苗字:高見(たかみ)
名前:朝蒼(ちょうそう)
号:進(しん)
性別:男
生年:1921年(大正10年辛酉)
年齢:89歳
時代:大正〜平成
地域:日本
生地:北海道
分野:画家 日本画

2011年04月13日(水)   No.487 (私設絵画館)

今年もまた小さな庭の「ショウジョウハカマ」が咲きました

毎年同じことを言っている様ですが、今年もまた私の小さな庭の「ショウジョウハカマ」が咲きました、花の上にシダの葉っぱが覆いかぶさっていたので、そーと手で持ち上げて見たら、か弱そうで綺麗な花が顔を見せてくれました、嬉しい一瞬です。
2011年04月12日(火)   No.486 (独り言)

始まりました、天寿園の、のみの市
, , ,
いよいよ天寿園の、のみの市が始まりました原則毎月第2日曜日です、昨日は天候に恵まれました、初日という事もあってか、出店業者さんも多かった、しかも品物も多く、勿論お客様の出も多かったです。
業者さんもお客さんも皆、顔なじみで4カ月ぶりの再会という事もあってか、気さくに声を掛け合っていました、震災地ともいえる群山から来られた業者さんも居られたほどです。
改めて新潟の無事と、安全や平和の有難さを実感した処です。
2011年04月11日(月)   No.485 (散策)

梅の花(李?)

梅の花というより花が少し白い様です李の花でしょうか?
2011年04月10日(日)   No.484 (散策)

山荘読書の図

山の梅林その中に粗末な山荘、更に遠方に残雪の山波が望めます。梅の香りに包まれて、一人の文人がそこで読書を楽しんでいます。
昔の文人が憬れた理想の境地なんだと思います。
いやむしろ私たち現代人こそ、この様な一時を持つことでリフレッシュする事が望まれると思います。
作者「霞亭」作者の確証はありませんが、須田霞亭という事でした、どうでしょうか?

須田霞亭をホームページにて調べました掲載します。
*須田 霞亭(すだ かてい):明治15年(1882年)2月、新潟県新潟市沼垂町生まれ。今尾景年、寺崎広業に師事。「帝国絵画協会、巽画会、美術研精会の会員にして、宮内省御用品の栄を受けること2回に及ぶ。」大宰府配流中の菅原道真公を描いた絵が新潟・白山神社拝殿正面左に献納されています。

長岡市の和敬堂にて求む。
2011年04月09日(土)   No.483 (私設絵画館)

日本相撲協会の八百長事件に思う。
,
日本相撲協会は、八百長事件に関係があるとのことで23人もの力士や親方を解雇処分に等しい厳しい結論を出しました。
此れにより事実上クビになったお相撲さんや親方たち、家族は此れからどの様にして生活していくんだろうと、人ごとならない心配をしております。
八百長は勿論いけない事ですが此れだけの割合の人数が関っていたとすれば、23人だけの責任追及でけじめを付けようとしている日本相撲協会の考え方に無理がある様に私は考えるのです。
日本相撲協会を一個のリンゴに例えていえば腐ったリンゴだったんだと思います。
腐るという事は腐らせる菌が、はびこって次々と伝染して行くものなのです、そこで腐った分だけ切り取って、あとは自分たちだけクリーンに行きますでは調子が良過ぎませんでしょうか?
腐らない為には冷蔵保存とか、リンゴに適した環境造りが必要だったんです、つまり日本相撲協会は正しい環境造りを怠って来た結果ともいえると思います。
違反をした人だけ路頭に迷わせ,それが正しい判断だったのでしょうか?
裁判量刑でよく出て来る言葉に、「更生の可能性」とか「十分に反省している」「すでに社会的制裁を受けている」という言葉、その様なものを考慮した結果だったのでしょうか。
これだけ大量の関係者が出たという事は、慣習化しており本人はあまり罪の意識すら無かった人もいるのではないでしょうか?
民法にも「慣習」とか「慣例」という文字も出てきます。
長い歴史の中で、相撲興行を行う中には悪しき習慣とか、反社会的な団体との関りなどブラックゾーンやグレーゾーンが有ったことでしょう?そして、それらが野球賭博とか、座席の事件等につながって来たのではないのですか?
むしろ協会が自ら過去を振り返ってなぜ今なのかを直視する事が大切なのではないですか?
原因が有って結果が有るのです。
朝青竜に対しても協会は随分理想を前面に出して彼を弾劾しましたね、相撲協会の実態を知っていてか、しらないでか朝青竜は日本相撲協会はそんなに理想を振りかざすほど立派では無かったんじゃないですか、とモンゴルで笑って見ていることでしょう。
23人の量刑ともいえる、処分の重さがはたして社会的に妥当の範囲なのでしょうか?町の弁護士さんはどの様に思いますか?
私は此のたびの処分の重さや、それを決めるやり方、全てに疑問を感じます。
社会的というより、むしろ非社会的な日本相撲協会の様に見えてなりません、まるで独裁国家の恐怖政治を連想させます。
今の日本相撲協会は一娯楽を提供するスポーツ興行で良いのではないですか?
一旦自分の身の丈に合った立場を受け入れて、又処分者も仲間として受け入れて手を携えて一旦格落ちしてから仕切り直てスタートし、次に更なるたかみに至れる様に心を一つにして出直すのがむしろかっこいい責任の取り方だと思いますが、いかがでしょうか?つまり連帯責任の取り方が問われているのです。
2011年04月08日(金)   No.482 (わたしの一言)

玉堂美術館の前に流れる多摩川渓谷のスケッチです。

昨日は川合玉堂の内弟子の阿部六陽画伯についてお話を致しました。
師の川合玉堂は奥多摩の青梅市にお住まいでした。
その遺構は現在は玉堂美術館となって保存されいます。
すぐ前の川は多摩川渓谷です大変豊富な水量の清流が水しぶきをあげて流れていました。
東京でもこんな自然があったんだと驚きました。
此の自然だからこそ玉堂が此処に住まわれて、そしてあの玉堂芸術が生まれたんだなーと、納得したところでした。
川には毎日玉堂先生が散策の時に渡られたという吊り橋が今でも健在で残っています。
今まさに玉堂先生が歩いて来られるかの様な錯覚さえ覚えたものです。
その橋を渡って対岸の川岸に立って、ありし日の玉堂先生も此処から清流を眺めた事もあっただろうと、思いを巡らせて多摩川の清流を眺めていました。
玉堂もきっとどこかで、此の清流をスケッチしたんだろう。
せっかく新潟から玉堂美術舘まで来たんだし、又、玉堂へのあこがれから、奥多摩の清流をスケッチせざるを得ない様な、そんな気持ちになってしまったのです。
玉堂ではないので稚拙はしょうがないとしても、そんな思いでスケッチしたものです。
大凡15年も前の事でした。
2011年04月07日(木)   No.481 (スケッチ)

題「山村浅春」。画家(阿部六陽画伯)
, , ,
ほのぼのとした山里の景色です「山村浅春」。
これが日本の風景の原風景と言っても良いのではないでしょうか。
作者の阿部六陽画伯は六日町出身で縁あって川合玉堂先生の内弟子として修行されました、そのドラマチックな人生は新潟総合テレビ(NST)がドキュメンタリーとして何回か放送を致しました。私はそれをみて感動をしたことを忘れません。6〜7年前になるでしょうか?塩沢の旧塩沢町立今泉博物館
にて阿部六陽画伯の遺作展が有りました、それを見て感じた事は日本人が忘れてしまった風景画を見るというよりその中に入ってしまったような、まるでその風景の中で一時を過ごした様な、静かな感動をおぼえました。
下段の写真は此の絵をイメージしての一カットです。

阿部六陽
新潟県六日町欠之上に生まれる。本名新一郎。大正14年、川合玉堂に入門、内弟子となる。昭和34年、玉堂門下生にて、三多圭会結成。以後展覧会を連続24回開催。日本橋高島屋にて個展開催、以後連続10回開催。日本画家。

2011年04月06日(水)   No.480 (私設絵画館)

東日本大震災で構造用合板が市場から消えた真実は?
 東日本大震災の影響で、建材類(構造用合板やグラスウール断熱材等)の入荷が目途が付かない状況であることは、御承知の事と思います。
イ)ホームページなどによると合板は仮設ハウスなどで必用との事で国の名前で押さえたとの事です。もしそれが本当の事であればその手段は大変に問題があると思います、お金や物資の流通は血液の流れに例えてもいいくらいに日本の経済活動に必要なものだと思います。
 仮設ハウスに必要..
2011年04月05日(火)   No.479 (わたしの一言)

「木曽路」 大林 敬佳作  
,
「木曽路」
絵の中のまだ雪で白い山は御岳山でしょうか?木曽路への旅を未だ、したことが無い私には分からないのです。
きっと木曽路を代表するスポットなんだろーと、思ってながめています。
沼の向こうに枯れ葉色の杉の木が見えますが4月1日に述べましたが、まさにこの色が春の杉の木の色なのです。

作者は「敬佳」愛知県の作家で創画会の大林敬佳。
2011年04月04日(月)   No.478 (私設絵画館)

樹齢数百年の大椿新潟市指定天然記念物
, , ,
新潟市江南区袋津の私の自宅の前の片山商店様邸の庭に樹齢数百年の大椿
(新潟市指定天然記念物)があります。
かなり昔ですが新潟日報で、確か「新潟への一枚」というような題で新潟県の代表的な風景を絵にして何回かシリーズで日曜日に掲載されました。
日本画で創画会の柴田長俊先生が此の椿を題材にされ、掲載されました事を
見られた人も多いと思います。
その椿が今まさに満開です、人間も、此の木の様に年齢を重ねるごとに素晴らしくなれたらいいな―、と思いながら、普段の自分に重ねて合わせて自己嫌悪におちいったところです。
2011年04月03日(日)   No.477 (散策)

越後亀田の梅林(藤五郎梅)
, , ,
亀田は梅どころです、藤五郎梅の産地なのです。
仕事で現場に向かう道中のことです、亀田の荻曽根の梅林の道沿いを車で通り掛った時です、何組かのお年寄りが梅の花をのんびりと眺めています。
「いいなー、今日はいい天気だ、東北の被災者も地震さえなければ、もうすぐこの様に春の日差しの中に梅や桜の花見が出来たはずなのにと・・・・」
頭の中で、改めてもう一度悲惨なあのこうけいと、此の梅林ののどかな風景がダブッテ見えました。
同じ日本なのに「天は平等では無かったんだ」・・・・・・
被災者の此れからの復興と犠牲者の御冥福祈る一時でもありました。
どこかに心の晴れ間を亡くしてしまいました、被災者だったらもっとそうだろうと、私の心は又鬱になるのです。
2011年04月02日(土)   No.476 (散策)

春霞のお日様と竹林

春霞のお日様と竹林。
私は春の木々が大好きです。
春の木々の特徴の一つに竹林と杉の木,そして欅です。
杉の木は杉花粉の時期ですが杉の葉は深みのある茶色になり枯れ葉色です。
そして竹の幹がやはり枯れた様な黄色になります、また竹林を遠くから望むと竹一本一本が鋸の歯型をして、あっちに向きこっちにむいて見えるのです、この時期の特徴でとても楽しいものです、きっと地下から伸びて来る竹の子と関係があるのだろうと想像しています。
欅です関越道を走ると「白根潟東インター」付近から「燕三条インター」までの間の農村の風景です、遠くの山なみの残雪(粟が岳と守門岳です)と芽吹く前の欅の枝、こげ茶色の杉木立そして屋敷林の一角にある竹林、今は黒い鉄板で覆うわれた茅葺の屋根、五点そろって、此れでパーフェクトですが、おっとあぶない高速道路のよそ見は禁物でした、ごめんなさい。
2011年04月01日(金)   No.475 (スケッチ)

No. PASS
 OR AND
スペースで区切って複数指定可能

[Admin]
shiromuku(fs4)DIARY version 3.50